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2010/08/14
 タンブラーに記事を書くのってなかなか簡単ではない
し、
あれってアーカイブがそんなに便利でない。
から、
こっちも併用しようかな、などと考えている。
微妙にぼつぼつ
 ゆっくりと移転してゆきます。

http://shof.tumblr.com/

まあタンブラーなので、貼付けものが増えそうですが、文章も書くでしょう。デザインは探し中。などなど
ハッピー/ねお/イヤー
あっという間に2010年がやってきていた。


とある作家さんの講演会通訳で大分県の大学へ。

勿論講演そのものはすばらしかったのだが、何より学生たちのやる気にとても心打たれた。
僕は通訳と言えども学部生であるにも関わらず、「俺、留学したいんすけど、何を気をつければいいっすかね!」とうら若き18歳の見た目結構チャラチャラした男の子が目を輝かせながら質問にやってきたのがすごく嬉しかった。「俺、ほんとにタイ語うまくなりたいんすよ!」と。ていうか色んな方に質問やら何やら声かけていただいてですね。あと学生たちがとてもハキハキしている。テキパキしている。先生と明るく会話をする。学内のどこにおいても。

さあこれでいいのか東京の学生たちよ!と僕は自分の学校の後輩たちに声を大にして言いたいのだが、この大学が言語を主として扱う大学である限りは実学に結びつく、といった類いの勘違いが横行しているであろうせいで、きっとこの声は届くまい。
つまりそれは、言語を学ぶということ=実学だととらえていることが問題なのではなくて、大学の学問=就職のためという等式を成立させていることが問題なのだと思います。そこをしたたかさととるか愚かさととるかはまた難しいところなんだが。しかし一方でじゃああなたが実学だと思って学んだことは一体仕事にどれだけ直接役に立っているのか?と聞けば一体どんな答えが返ってくるのでしょう。という意味では、大学では学びたいことを学ぶのがやはり一番いい選択なのではないか、と。
けどまあ、高校生とかだと、例えば国際協力したい→外国語→外国語のできる大学→国際協力する仕事、とかいう風になっちゃうんだろうけど。それこそ某君の言っていたtable for twoを実施しながら年越し派遣村を知らない子、的な。(これで合ってたっけ)
だからまあもっと、手段/方法として、以外の観点から学問にもっと好奇心でアプローチしなきゃと思うんです。それが結果的に役に立つ面もあろう。立たない面もあろう。


そういえば近頃「君に届け」を借りて読んでいるのだが、今日最新巻を借りて、あーやったすっきりしたニヤニヤ、な部分もあり、あれ?これでまだ終わらないの?な面もあり。
少女漫画と言えば勝手に、好きな男の子と恋が芽生えてハッピーエンドで終了、だと思っていたんだけどそうではなかったらしい。もはやロマンティックラブイデオロギーを安心させるだけでは物語は機能しないのであった。まあ言われてみりゃ小学生で非処女な子とかがいるご時世に、もどかしい恋愛のゴタゴタ、だけじゃリアリティ提供できないっすよね。そりゃあ少女雑誌でヤッたヤられた描くわけだ。

で僕の持つ少女漫画のイメージがこうやって少し覆されたわけだが、僕の持ってた少女漫画のイメージって、魔夜峰央のパタリロ/ラシャーヌ、山岸凉子諸作品、へび女、ベルばら、佐々木倫子とかいう、せいぜいこの程度の量の漫画によって構成されていることに今気がついた。どうやって構成されていたのかすら謎だがそもそも的確でない。

夢を見た
今論文から激しく逃避中。

そうえば来年は年男らしい。
この前年男だったときの年賀状はえらいウキウキ書いていた記憶がある。
しかも当時は小学生だったってんだから驚きだ。

気がつくと僕は当時の友人たちと屋外の演習場(なんじゃそりゃ)はたまた合宿所みたいなところにいて、リクライニングチェアに座ってのんきにテレビを見ている。そうすっとおいおい、とか呼ばれるからみんなについていくと、長くて日当りがあんまりよくない廊下を通って、着いたところが友人Mがかつて住んでいた団地の一室なのだ。ちょっと狭いけど。
正直、こりゃあ人魚みたいだな、と思った。何がどう人魚かっていうとなんか青く赤くキラキラしてる感じとか、でもちょっとグロテスクな光り方とか。だからまあ、小川未明の「赤い蝋燭と人魚」+映画「ジョゼと虎と魚たち」のラブホテル、といったイメージだろうか。夢だしあんまり責任は持てないけれども。しかしラブホテルとカラオケはどうしてあんなにブラックライトが好きなのだろう。
で友人が昔飼っていた猫やら、昔飼っていた犬やらいるし、僕らは僕らで奇妙に細長い人魚の部屋に寝転がって特に何をするでもなく。ただ当時から感じていたあの日当りがあんまりよくない感じとか、ていうか電気をあんまりつけてなかったんだな。学校帰りの2時〜5時くらいだと微妙な線で、そん中でゲームしたりとか、そういえば転んで窓枠に頭ぶつけて怪我したりした。っていう雰囲気はそのままだった。


別にオチはない。

落ち着いたらタンブラーに移行しようかな。アカウントはとってみたものの使い方をちゃんと勉強してる場合でもないもので。

AKY
まったくもって2000年代が終了しようとする気が起こらないのであるけれども、来年は2010年。関西ゼロ世代とか言ってミドリとか出てきた00年代も、宇野常寛が想像力について語った00年代も(それこそ仮面ライダーディケイド)も終了していくわけなのだが、やっぱり空気は読み続けなきゃいけないんだろうなあ。と思った。


参照→エクス・ポ日記「テン年代の意味」
これって佐々木敦が書いているのか?ってまあ僕は「ニッポンの思想」はおろか、「絶対安全文芸批評」も読んでいないのだけど。(西島大介が表紙を書いてるっていうところでなんだかあまり)


より深く柔軟な智慧が必要であるなあと。同時に俊敏さと緊張感。つまり空気を読みまくると。強いて言えば優しさと厳しさ。ストレスフルであるが、非常にウキウキもする。といった状況下をガシガシと駆け抜けていかなきゃいけない。その中で一本バシっと線を通せたら万々歳。
『ぼくの友人たちもこぞってコンセプトに熱中していた。何をするでもなくキャンパスの外へ出てコンセプトを探し回った。見つからなくてもだれも非難はしなかった。見つからないのもコンセプト。みつけた奴はお疲れさま、だ。』

ただ一方で空気が読めてるという自負は全く必要ないだろうし、おそらくそういった自分をもっとも批判すべきであるかなあとも思うのである。空気を読むということは鉄板ネタだの神の一手をぶちこむことではなくて、この混沌の中で自らの立ち位置を批判的に確立させつつ、より弁証法的に向上させていくことなのだろう。うん。どうせもう誰も一番にはなれないんだから。ただそこを理解するだけではいけないのだと思うけど。理解→思考停止。じゃあ困っちゃうなあぼかぁ。


そういえば軽井沢に行ってきた。
冬の軽井沢は閑散としつつも、澄んだ空気が非常に旨いのでありました。しかし何をトチ狂ったか宝島の発行してるフレッドペリーの100周年記念ムックを付録のバッグにつられて買ってしまった。まあバッグが可愛かったからいいのです。1300円だし。

でもフレッドペリーの服は一枚も持ってない。

同行者のカメラで撮りまくった写真は後日。単焦点50mmのデジ1と同行すると、リコーとはいえ普通のコンデジじゃせいぜいマクロモードで遊ぶことしかできない。